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日蓮宗 |
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当院は群雄が割拠し対立する戦国時代の天正二年の春、大泉の地に、加藤隼人の子孫一族が一族の菩提のために発願、建立した。
西中山妙福寺の末寺で、山号を加藤山・実成寺と号した。翌、天正3年、本山千葉中山法華経寺の末寺となり、院号を認許され法性院となる。
当院に蔵する加藤清正公尊像は、安政5年日深上人により九州より将来されたもので、荒川根岸の船場に着いた時は、村民一同が出迎え当院に安置された。
この加藤清正像は、大泉の地に疫病や凶作が続くと、村民一同が輿に乗せて巡業し厄払いをすると云うことが、安政5年より昭和初期まで続いた。また、明治から昭和にかけて戦争がはじまると、加藤の姓名の者は必ず当院に参拝し、武運長久を祈願して出兵したという。
寺子屋としても、当地では一番古く、大正時代には大泉小学校の分校としてつかわれ、青年の憩の場所でもあったと云われている。 |
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1区画(永代使用料・墓石工事一式) |
190万円より(セット価格) |
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*仏事は法性院住職が行ないます。
*墓地は継承者が永代使用できます。
【寺院・墓地の特色】
*寺院では住職が毎日檀信徒の家内安全と子孫長久の祈願をし、
合せてご先祖のごえこう(回向)の御経をあげています。
*御供養は、永代に渡り安心してお任せしていただけます。
*近隣のお寺では、短時間でお参りすることができます。
(公園墓地では、郊外までお参りに行かなければなりません。)
*何事も気軽に相談していただけます。 |
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加藤山法性院
東京都練馬区大泉学園町2-18-36
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0120-14-3123 |
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